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(左)重文 公慶上人坐像 東大寺蔵 / (右)国宝 重源上人坐像 東大寺蔵
(左)重文 公慶上人坐像 東大寺蔵 / (右)国宝 重源上人坐像 東大寺蔵
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    1 東北初!!東大寺の寺宝を一堂に公開

    東大寺の寺宝が東北で一堂に会するのは初めてのことです。東日本大震災の復興に取り組んでいる東北のためにと、東大寺の特別協力によって実現しました。

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    1 国宝17点、重要文化財25点—貴重な寺宝や史料を公開!

    東大寺が大切に伝えてきた寺宝を中心に約100件150点を展示します。このうち、国宝は東大寺の復興を語るうえで欠かせない「重源上人坐像」をはじめ8件17点、重要文化財は「公慶上人坐像」など21件25点ほかで、大規模な展覧会が宮城・多賀城の地で実現します。

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    1 東大寺の復興と東北との関わりを重視した構成

    東大寺の盧舎那大仏造営には陸奥国小田郡(現在の宮城県)で産出した金が用いられ、東大寺と東北のつながりが創建当初から認められます。鎌倉時代、江戸時代の復興も東北とのつながりがあり、東大寺と東北との関係を構成に盛り込んでいることが本展の大きな特長です。

第Ⅰ部/東大寺の復興

奈良時代、聖武天皇は仏教によって国家の安泰を祈願する鎮護国家の考え方に基づき、諸国に国分寺、さらに都には東大寺を建立しました。東大寺の盧舎那大仏は、発願主である聖武天皇や国家の力のみならず、広く人々に結縁を求め、大衆を協力者として造立されました。自らの私財や技術・労力などを寄進する人たちの力を結集して大仏を造立することは聖武天皇が望んだことです。この精神は、鎌倉時代や江戸時代などに行われた復興や修理の際、さらには現代にいたるまで引き継がれ、大切にされています。

  • 第1章◉東大寺の創建

    東大寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」とされます。これは大和国の国分寺を前身の寺院としているためです。盧舎那大仏の造立は天平17(745)年に開始されました。東北地方からは大仏荘厳に必要な金が献上されるなど、多くの人たちが大仏造立に心を寄せ、仏教公伝二百年目にあたる天平勝宝4(752)年に「大仏開眼供養会」が厳修されました。

    • 1. 国宝 金銅八角燈籠火袋羽目板 東大寺蔵
      1. 国宝 金銅八角燈籠火袋羽目板 東大寺蔵
    • 2. 重文 四聖御影(永和本)東大寺蔵
      2. 重文 四聖御影(永和本)東大寺蔵
    • 3. 国宝 弥勒仏坐像 東大寺蔵
      3. 国宝 弥勒仏坐像 東大寺蔵
    • 4. 重文 伎楽面 酔胡従(大仏開眼供養会所用) 東大寺蔵
      4. 重文 伎楽面 酔胡従(大仏開眼供養会所用) 東大寺蔵
    • 5. 国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤 東大寺蔵
      5. 国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤 東大寺蔵
  • 第2章◉鎌倉時代の復興

    源平の争乱により、治承4(1180)年、大仏殿はもとより、寺内堂塔伽藍の大半が焼失してしまいました。復興には後白河法皇や後鳥羽上皇、源頼朝をはじめ、多くの人々が力を合わせて取り組みました。中心となってこの事業を進めたのは、大勧進重源上人(だいかんじんちょうげんしょうにん)です。文治元(1185)年に大仏の開眼供養が行われ、大仏殿は建久6(1195)年に再建されました。この復興は創造的なもので、「大仏様(だいぶつよう)」といわれる新しい建築様式も生み出しました。

    • 6. 重文 五劫思惟阿弥陀如来坐像 五劫院蔵
      6. 重文 五劫思惟阿弥陀如来坐像 五劫院蔵
    • 7. 重文 五劫思惟阿弥陀如来坐像 東大寺蔵
      7. 重文 五劫思惟阿弥陀如来坐像 東大寺蔵
    • 8.  国宝 源頼朝書状(文治三年十月九日) 東大寺文書 東大寺蔵
      8. 国宝 源頼朝書状(文治三年十月九日) 東大寺文書 東大寺蔵
    • 9.  国宝 重源上人坐像 東大寺蔵
      9. 国宝 重源上人坐像 東大寺蔵(5/29〜6/24展示)
  • 第3章◉江戸時代の復興

    戦国時代にも奈良は争乱の舞台となり、永禄10(1567)年に中心伽藍のほとんどを焼失しました。それから100年以上も露座のままであった大仏を拝し、志を立てた公慶上人は、貞享元(1684)年、幕府に再建を願い出て許され、大勧進として全国を歩き、多くの人々の協力を得て、復興に力を尽くされました。元禄5(1692)年に大仏の開眼供養が行われ、宝永2(1705)年に大仏殿の上棟式が営まれました。公慶上人は上棟式の直後に入寂されましたが、事業は引き継がれました。宝永6(1709)年に落慶供養が行われ、大仏殿は当時としては世界最大の木造建築物として復興されました。

    • 10.  重文 公慶上人坐像 東大寺蔵
      10. 重文 公慶上人坐像 東大寺蔵
    • 11.  大仏開眼供養図 東大寺蔵
      11. 大仏開眼供養図 東大寺蔵
    • 12.  大仏殿工匠具 東大寺蔵
      12. 大仏殿工匠具 東大寺蔵
    • 13.  大仏螺髪(勧進用) 東大寺蔵
      13. 大仏螺髪(勧進用) 東大寺蔵
  • 第4章◉ 「不退の行法」修二会の歴史と安寧への祈り

    毎年冬に二月堂で行われる修二会は、本尊の十一面観音菩薩に過ちを懺悔(さんげ)し、あわせて除災招福を祈る法会です。天平勝宝4(752)年、大仏開眼供養会と同じ年に始められ、以来1260年以上、絶えることなく続けられています。その間、二度にわたる伽藍焼失とその復興、江戸時代前期には法会の舞台である二月堂が焼失するなど、多くの困難がありました。それらを乗り越えて、継続されていることから「不退の行法」と言われています。

    • 14. 重文 金銅鉢 東大寺蔵
      14. 重文 金銅鉢 東大寺蔵
    • 15. 右:三鈷鐃(大導師鈴) 左:三鈷鐃(咒師鈴)
      15. 右:三鈷鐃(大導師鈴) 左:三鈷鐃(咒師鈴)東大寺蔵
    • 東大寺修二会の様子(撮影/三好和義)
      東大寺修二会の様子(撮影/三好和義)
  • 《テーマ展示》掘り出された東大寺の歴史

    法華堂の一部には東大寺創建以前、八世紀前半の部材が使用されており、その周囲からは創建以前の屋根瓦等が発見されています。また大仏殿の西側からは、大仏鋳造に関わる遺構や遺物が発見され、当時の大事業の様子がしのばれます。大仏鋳造には陸奥国から献上された金が用いられており、宮城県涌谷町の史跡黄金山産金遺跡周辺では現在も砂金を採取することができます。ここでは、近年の発掘調査などから東大寺の歴史に迫ります。

    • 16. 「天平」と記された丸瓦 史跡黄金山産金遺跡(湧谷町)個人蔵
      16. 「天平」と記された丸瓦 史跡黄金山産金遺跡(湧谷町)個人蔵
    • 17. 砂金(涌谷町黄金沢採取) 涌谷町教育委員会蔵
      17. 砂金(涌谷町黄金沢採取) 涌谷町教育委員会蔵
1.2.3.6=画像提供:奈良国立博物館 撮影:佐々木香輔
4.5.7~15=画像提供:奈良国立博物館 撮影:森村欣司

第Ⅱ部/古代東北における災害復興

古代の陸奥国における国府や郡に置かれた郡家、さらにはそうした役所の近くに建立され、役所に付属するとみられる寺院の様子が明らかになってきています。これらの中には災害を受けて復興した様子が認められているものがあります。

  • 第1章◉鎮護国家と古代東北の寺院

    仏教によって国家の安泰を祈願する考え方は古代政治の要でした。この方針は東大寺が建立された八世紀中ごろ以前から確立しており、東北地方にも東大寺建立以前に建てられた寺院跡が発見されています。聖武天皇が発願した「金光明四天王護国之寺」は東大寺だけでなく、奈良時代、国ごとに設けられた国分寺の正式名称でもあります。陸奥国の国分寺は現在の宮城県仙台市に建立されました。

    • 18. 「 最勝王経精誦」木簡 江平遺跡(福島県玉川村)福島県文化財センター蔵
      18. 「 最勝王経精誦」木簡 江平遺跡(福島県玉川村)福島県文化財センター蔵
    • 19. 泥塔 特別史跡多賀城廃寺跡 宮城県多賀城跡調査研究所蔵
      19. 泥塔 特別史跡多賀城廃寺跡宮城県多賀城跡調査研究所蔵
  • 第2章◉古代における東北の復興

    古代東北において、最も大きな災害は貞観11(869)年に発生した地震と津波の被害でした。これにより、国府である多賀城の建物も崩れ落ち、また津波により犠牲になった人が千人に及んだとされています。ただちに被災者の救済や建物の復旧が進められ、地震の翌年には、 国府修理用の瓦製作が始まりました。

    • 20.  復興鬼瓦 特別史跡多賀城跡宮城県多賀城跡調査研究所蔵
      20. 復興鬼瓦 特別史跡多賀城跡宮城県多賀城跡調査研究所蔵
    • 21. 復興瓦 特別史跡多賀城跡宮城県多賀城跡調査研究所蔵
      21. 復興瓦 特別史跡多賀城跡宮城県
      多賀城跡調査研究所蔵
主催

復興祈念−東大寺展実行委員会

(東北歴史博物館・河北新報社・仙台放送・日本経済新聞社・多賀城市)

共催 宮城県、多賀城市教育委員会、NHK仙台放送局
特別協力

華厳宗大本山東大寺

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